
同僚と元同僚の9人で、神戸のビエンナーレというアートイベントに行ってきた。

新旧のメンツで行動するのってなんだか不思議な感じ。
港町のシンボルでもあるコンテナを発表の舞台とし、公園内に配置された60ものコンテナを順に巡るという趣旨が面白い。あの狭いコンテナの中で、どうやってアートを展開させてるのか、どうやって世界観を伝えようとしているのか、に注目しながら順に回っていく。

鏡部屋に浮かんだ円盤の光がどこまでも続いてゆく『ゆらぎ』。
無限の空間にぼんやり光が心地よいね。

赤い部屋では赤ペンでメッセージを書き残すことが出来る。
壁を埋め尽くすその文字達がそのまま作品となり、微妙に変化していく照明と相まって
不思議な世界を作り出していた(ホラーっぽさも感じた)。お気に入り。

水が張られてる奥に太陽が投影されていて、日の出・日の入りを体験できる。
ピチョンって水が滴り落ちて小さく波紋を起こしたり、の演出が素敵。
メンバーの一人が絶賛。

竹が張り巡らせて胎内を表現したらしいけど、よくわかんなかった。
でかい編み物としての凄さは伝わったけど。

なにこの癒し空間。床がふかふか&クッション付きだったら一晩泊まりたい。

古今東西の文字が並ぶ空間。「で?」とは思わなかったけど、
キレイに光ってて十分インパクトあると思う。

在日外国人の顔写真をコンテナ一杯に埋め尽くした作品。
日本で生活してるマイノリティ(少数派:在日外国人)とマジョリティー(多数派:純日本人)の数を逆転させてみるというコンセプトは良いけど、同じ写真がすぐ近くにあったり
たまに関係ない写真が混ざってるのを発見して説得力を失ってしまい残念。

パンダ短冊のコンテナ。やっぱり参加型展示の集客効果は抜群だな。
オレも「うまいことやってけますように。」って全部がうまいこといけばいいんだよもう。

障がいのある人たちによる展示品の一部。
「たまねぎを構成する要素を極限まで絞った最終形態がまさにこれだよなぁ。」
「これこそデザインの極みだ。」なんて言いながら横に居たデザイナーと盛り上がってた。
冗談っぽいかもしれないけど、この意見は一理あると思う。
この他にも、『アーティスティックフォト』展もやってたけど、fotologueなり普段からデジタル写真の目に肥えているので、アナログ加工による作品群を見ても大した驚きは無かったのが本音。
連中と周っていると、「思いついたことをコンテナ内に大量に敷き詰めてるだけで、ふーん、それで?みたいなのもあったよ。」的な意見も出て、オレも少しの同意はあったりするけど、自分の頭にあることを実際にカタチにして発表してる時点で評価に値するよね。
途中、神戸の海を見ながら休憩する。
男子が一列に並んでスネ毛を披露したり、煙草をふかす入社数ヶ月の女子が絵になってたので撮ったりしながらまったりしてた。
そんじゃメシでも食いに行くかーてな流れで歩いてたら、「ハジマル、ハジマル。」とカタコトの日本語で僕らを誘うパフォーマンスガイジンが。


そのままパフォーマンスショーが始まって、後輩が餌食になってたけどそのまま楽しんだよ。

キリンさんをもらいました。神戸タワーとパチリ。
このイベントでは、思いついたこと一個だと主張も弱いけど圧倒的な数を用意することで説得力が増すっていう手法が印象に残りました。でも、それら一個一個がただの複製だったりすると途端に威力を失ってしまうんだろうなあということも同時に考えさせられました。なんか昔ニュースで見た、何万人の署名の中にコピーされたものが一部混ざってて全て無効にされたってのに似てる感じ。
あと、何事もコンセプトありきだなと。例え、パッと見の印象が強くてもコンセプトが無かったら、ただそれだけの存在にしかならない。逆に、コンセプトがしっかり練りこんだものだと、ただの落書きみたいな曲線でさえ際立ってくると。
いい勉強になりましたー。僕ら世代とゆとり教育世代との交流も楽しかたですー。
追記
この外人の大道芸人さんが、実は細川ふみえの元婚約者だったことを知ったのは、この日からしばらく経った社内でのことだった。
大道芸人に抱き付かれた後輩が、「・・・ということは、僕はフーミンの胸と間接的に抱き合ったことにもなりますよね?」って言ってた矢先、みんなから「これだからゆとりは・・・。」みたいに冷笑されてたのがおもしろかったです。
















